パラリンピック発祥の地、ストークスマンデビル病院訪問
Stoke Mandeville Hospitl & stokeMandeville Stadium Guttmann Centre(WheelPower)Visit
ストーク・マンデビル病院と併設するスタジアム(WILLPOWER)を訪問してきました。
私は2010年から2021年日本パラ陸上競技連盟に所属していました。
その間ロンドンパラリンピック、リオデジャネイロパラリンピック、東京パラリンピック
3大会トレーナーとして日本選手団のサポートをしてきました。
この病院はパラリンピックのトレーナーとしては憧れの病院なのです。
マンデビル病院はイギリスロンドンの北西部のアイルズベリー地区にありロンドン市内から電車で約1時間ほどの場所にあります。
ロンドン市内のメアリルボーン駅からイギリス国鉄で約1時間・・・窓からののどかな景色が続きました・・・
そしてStoke・Mandeville駅到着後は病院までStoke Mandeville・wayを約30分歩きました。
これまたのどかな風景が続く道路でした。
病院の正面玄関
マンデビル病院に到着!
イギリス国内でもトップクラスの総合脊損センターが設置され、多くの患者さんがこのセンターで機能回復に挑まれている素晴らしい病院です。
イギリス国立総合脊損センター ☆ Stoke Mandeville Stadium Guttmann Centre
あらゆる障がい者がスポーツを通じて健康で楽しいライフ生活を送る事ができるのか・・・、また競技レベルではいかに残された機能でパフォーマンスを発揮する事かできるか・・・
このような肉体的・精神的にも優れた回復プログラムを備えているマンデビル病院とwheelpowe(パラリンピックスタジアム)へ訪問する事が出来てたいへん光栄な事です。
※ストーク・マンデビル病院とパラリンピック発祥と言われる歴史は下記の㏋を参照に詳しくご覧ください。
1944年当初の所長であった ルートヴィヒ・グットマン博士は負傷した兵士たちに「障害ではなく、能力こそが重要である (It’s ability, not disability, that counts)」という言葉をかけ、『失ったものを数えるな! 残されたものを最大限に生かせ!』の名言を残されています。
イギリスでは第二次世界大戦中に負傷者が出る事を見越して専門別に病院が作られました。
マンデビル病院は負傷した兵士たちを治療するための病院として、特に脊髄の損傷を負った患者を受け入れる専門病院でもありました。ルートヴィヒ・グットマン博士は脊髄損傷患者のリハビリの一環として早くからスポーツを取り入れられました。
1948年にはストーク・マンデビル病院で入院患者によるスポーツ競技会が開かれます。
その競技会は4年後には国際的な両下肢麻痺者によるスポーツ競技大会へと発展しました。
stokeMandeville Stadium Guttmann Centre(WheelPower)
そして昭和35年(1960年)に、ローマでオリンピックが開催された同じ日に障がい者では初めてとなるスポーツ大会が同地で『ストーク・マンデヴィル競技会』「STOKE MANDEVILLE INTERNATIONAL GAMES」として開催されました。
その後4年後1964年東京オリンピックの年に正式な”パラリンピック”と名称が使われたのです。
パラとは(並行して、もう一つのと言う意味があります。)
この大会が後に現代のパラリンピックへと発展してきたのです。
詳しくは下記のHPを参照くください。
WikiPediaより他
参考資料
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AB
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https://www.shokeikan.go.jp/kikaku/byosho-field/post2.html
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https://sports.yahoo.co.jp/official/detail/202102050082-spnaviow
WHEELPOWER
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https://www.wheelpower.org.uk/activities/yorkshire-sports-festival/
車いすリフトや麻痺があっても無理なく入水できるプール この日は子供がたくさん入っていました。
各種取り揃えたジムスペース・・・ちょうど新しいマシーンを入荷したばかりでした
もともとグッドマン博士の考えは負傷した兵士にリハビだけではなくスポーツの楽しみを与えると言った草の根の考えでもありことから、wheelpowerは単なるスポーツ施設という存在を超えて、障がい者だけではなく健常者も一緒に施設を利用しスポーツを楽しむ事が出来る。
そして、wheelpowerはパラリンピックを目指す発掘の場所ではなく、イベント(体験会)を通じて、パラスポーツの紹介や実際パラスポーツを体験していただく事で、障がい者本人が一生涯楽しむためのスポーツと出会える事で、趣味としてのスポーツや生きる力になる事がこの施設の価値であるとおっしゃってました。またスポーツ大会なども開催され、併設する宿泊施設を利用し各地から多くの障がい者が参加されるそうです。
年々、スポーツイベントを重ねるたびにパラスポーツも進化し、新たなNEWスポーツが開発されたり、用具や装具なども進化していると・・・
お互いの立場を理解し誰もがノーマライゼーション的な考えとなりうる社会を生み出す・・・それがwheelpowerの施設大切な価値なのではないかと思います。
wheelpowerの施設長のマーティン・マケルハットン OBEさん(Martin McElhattone OBE)
お迎えをぃただき施設のご案内をしていただきました。
マーティンは、1984年にストーク・マンデビルで開催されたパラリンピックでイギリス代表として車いすバスケットボールに出場したパラリンピアンです。
最後にグッドマン博士と記念撮影(もちろん銅像です)
今回のストークスマンデビル病院とwheelpowerの訪問は、難病患者様を扱う私にとって、たいへん勉強になりました。
グッドマン博士の残された言葉・・・『失ったものを数えるな! 残されたものを最大限に生かせ!』の名言をいつまでも胸に、
日々研鑽に励んで参りたいと思っております。
2023年12月7日