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リオデジャネイロパラリンピックでの思い出

リオデジャネイロパラリンピックに行ってきました!

日本パラリンピック委員会(JPC)より ”リオデジャネイロパラリンピック2016” 陸上競技日本代表トレーナーとして選出され、南米ブラジル:リオデジャネイロへ行ってきました。 結団式では阿部総理大臣から激励をいただき身が引き締まる思いから始まり、そしてリオへ…

初めて南米での開催となるリオデジャネイロパラリンピックは、史上最多となる160か国以上の国と地域が参加しました。

日本選手団は金メダル10個を目標とし、11日間に及ぶ熱戦の大会を終えた結果、惜しくも金メダルこそ獲れなかったものの、銀10個、銅14個、合計24個という、ロンドン大会での総獲得数であったメダル16個を、大きく上回る獲得数となりました。

獲得メダルの内、陸上競技においての内訳は銀4個、銅3個でした。 これもロンドン大会を上回る数を獲得できました。

私の役割であるトレーナー帯同は日本パラ陸上競技連盟選手27名、盲人マラソン協会選手6名、日本知的陸上競技連盟選手3名に対してパラ陸連所属のトレーナー3名で対応しました。

リオへ入る事前合宿としてNYで約1週間滞在し、時差や環境の調整などした後、現地入りとなりました。

リオに入り開幕までは選手村併設のトレーナールームと練習会場のエアフォースユニバーシティー(地元の航空大学のグランドと滑走路)に分かれて活動してました。 開会式後の大会期間中からは競技場のサブトラックでの活動となり、午前午後でトレーナーが交代し、選手村では1名が終日対応できるようにローテーションしながらシフトを組みました。 競技場のサブトラックでは各選手のスタート時間に合わせながら、ウォーミングアップ時のケアやレース後のアフターケアに応じました。
気温は最高42度 下は24度と寒暖差があり、体調を崩す選手もいましたが、
チームドクターとの連携で協議には差し支えはありませんでした。

選手村においては、予約制にて30分間隔でケアを実施した。またドーピングコントロールの対象となる選手もいたため、その付き添いとして同行もしました。

そして記録としては銀メダルや銅メダルに輝く選手達と、惜しくもメダルが取れなかった選手、でも中には自己ベストやアジア新記録を更新する選手も多くおり、実際に良い結果で東京につなげることができました。

『失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ!』この言葉は障害者スポーツから学びました。

人間残された能力で何とかなるものだ。そして日常の診察に於いて難病患者と向き合って思う事は、患者本人が生きる為に前向きな心を持っていますよね!

パラリンピック選手が障害を乗り越えチャレンジしている姿からは、現状を受け止め、残っている身体機能を最大限に使い、そして楽しさを見つけ、少し工夫した生活を送っているだけだ。それを見れば生き抜く力が湧いてくるはず。

今後は更に2020年東京大会に向けて反省と課題を踏まえ強化に努めなければなりません。このリオでの経験は自分自身を成長させ、私の人生に於いて真さに宝物です。

私は障害者スポーツトレーナーの活動を通して、少しでも難病患者に生きる勇気と感動を与えられる治療家になりたいと思っています。

最後に総務、コーチ役員の方々はじめ、スポンサーとしてサポートいただいた各企業様、現地ボランティアの方々には大変お世話になった。同時に出発に向けての荷物準備、そして日本からサポートいただいたパラ陸連トレーナー部会の皆様にはとても感謝致します。

本当にありがとうございました。

ここから先にニューヨーク合宿とリオパラリンピックの写真を掲載いしています。ぜひご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまではニューヨーク合宿

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⇓ こちらからはリオデジャネイロパラリンピック