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90年の歴史② DAITO TIME

前田針灸接骨院 90年の歴史②
私は四条畷高校を卒業し、一度呉服問屋へ就職しました。そこで社会の仕組みや物流の仕事から、会社という組織を学びました。
青春時代の1ページとして大阪~東京を自転車走破し、当時砂利道が多く、変速機能もない自転車での走破は相当な体力が必要でした。その事が新聞に取り上げられ、たいへん嬉しい思い出の一つです。
そして、父・喜代松から後を継ぎ2代目院長を継承いたしました。戦後の昭和20年~30年頃は整形外科も少なく大東市の小学校、中学校では遊びや体育の時間で子供たちが骨折や脱臼、捻挫等で運ばれ、深夜には『肩が脱臼した』『階段から転倒して骨折した』と大人、子供に関わらず急患が多かったです。
私は登山やスキーが好きで、大東市の山を愛する仲間達と大東市山友クラブ(現在・大東市山岳連盟)を発足しました。その頃赤十字救急法がドイツから導入され、私も日赤指導員資格を取得し、山岳救助員として活動しました。
また、スキーでは10年間滋賀県マキノスキー場に接骨院を開設し、パトロール員として衝突や転倒して搬送されたスキーヤーの救護や応急手当に当たりました。その時代の柔道整復術(ほねつぎ)は〝メスを持たない外科医療”として高く評価され、私にとって貴重な勉強の場だったと思っています。
この様な活動を通じ山岳で知り合った富子と結婚し、3人の子供にも恵まれました。
昭和45年には大阪万国博覧会が千里で開催され、ちょうどその頃、新築した自宅を、ゲストハウス(民宿)として登録し、半年間で計28ヵ国から685人のお客様を迎え入れました。鍼灸整骨の仕事と、子育て奮闘の中、夫婦力を合わせ切り盛りした経緯が認められ、香港『中華TV』や『香港TV』など医学番組の出演依頼があり、日中医学交流へと視野が広がるきっかけともなりました。

・・・続く